オタと熱狂を作らない者こそが生き延びるという話

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文化というものが存在する前提として、当代限りのものか永続的なものかの2タイプがあるとつくづく感じる。

過去に「学術研究】なぜ演歌は廃れてしまったのか」でも書いたように、文化の収益構造はその時代のファンから絞り取る当代限りのビジネスモデルか、もっと広く普遍的に緩やかなファンを獲得してその文化を日常的にまで落とし込んで幅広い層から永続的に収益を上げるビジネスモデルに大別される。

身近なもので例示するならば、前者はアイドルグループのビジネスモデルが当てはまり、後者はネットコンテンツ配信サイト(SNS運営企業、欧米メジャーの配信企業、サブスクサービス提供企業 etc…)が当てはまると言えよう。

当代限りの方では「オタ(オタク)」を生み、それらが熱狂を作り上げる。

「ファンを作る」と「オタを作る」は似て非なるものである。
「オタ」による熱狂は妄信的な支持者の高単価な課金により爆発的な利益を生み、時に社会経済にとってのカンフル剤になることもある一方で、それを取り巻きに傍観する無党派の白眼視を生む。そうした結果としてマーケットのコモディティ化に拍車をかけることになる。目先の大きな利益を取るために長く文化を残すことを捨てているのだ。これぞまさにトレードオフの概念である。
これは仕掛ける側と消費者側の双方がある程度そういう事実を理解して受け入れている部分もあるが、ともかく、熱狂により資産を吸い取られた「オタ」は加齢や家庭環境の変化、あるいは資産の枯渇によりいずれ市場から退場する運命にある。ネットスラングではそれを「養分」と呼ぶ。
そのように当代限りのビジネスモデルとして「オタ」から高額の収益を上げながらも先述のような理由で新規層を取れていなかったことが響き、中長期的に見ればマーケットは先細り、いずれ消滅という運命を辿る。

政治の世界もそうだ。
どこかの政党の支持者がいたとして、それが熱狂的であればあるほど無党派層はそれらとの距離を置こうとする。そうして議論や政策、理想とする社会像が内輪へ内輪へと収斂、先鋭化し、気がつけば周囲に傍観される特殊な人たちという評価を社会から下され、支持する政党としては新たな支持者を取り込めず泡沫政党になってしまい、世の中を変えることすらできない。
自分たちを「特殊な人たち」として白眼視する無党派層は、自分たちの議論のテーブルにはつかず、ネット空間を含めた公共の場での議論にも参加せず、ひっそりと自分のできる限りの政治行動に移す。つまり、自分の思うところに清き一票を投じるのだ。その一票が閉じられた先は、「特殊な人たち」が支持していない政党であることは言うまでもない。
このようにして、せっかく理想社会への変革をスローガンに掲げて邁進してきたつもりが、妄信的で声の大きい「オタ」による「熱狂」を生んでしまったことで一般人を遠ざけ、多数派を取るどころか自分たちが少数派に転落し、挙げ句の果てにはその存続の危殆に瀕するところまで追いやられるという本末転倒な帰結になることすらあるのだ。
この現象は新興宗教や最近のテレビ業界、芸能界、マスメディアにも当てはまる現象だ。


その商品やサービスが次世代にまで残る永続的なものにするには、いかに「オタ」による「熱狂」を生まず、常に非オタの「無党派」、大多数の「一般人」をマーケットに取り込みながら広く長く収益を取り続けていくビジネスモデルにするかが、全プロダクトオーナーたる者の使命と言えよう。
少なくとも私はそのようなマインドを持ち、世の中を変えたいと思い行動している。


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