【学術研究】なぜ演歌は廃れてしまったのか

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  1. そもそも演歌とは何者か
  2. 演歌の立ち位置と担ってきた役割
  3. コモディティ化する演歌
  4. 演歌が持つ特徴と弱点
  5. 演歌を待つ未来
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そもそも演歌とは何者か

演歌の概念とは何か。

演歌(えんか)

明治時代の自由民権運動において政府批判を歌に託した演説歌の略。
1960年代半ばに日本の歌謡曲から派生したジャンルで、日本人独特の感覚や情念に基づく娯楽的な歌曲の分類の一つである。
当初は同じ音韻である「艶歌」や「怨歌」の字も当てられていたが、1970年代初頭のビクターによるプロモーションなどをきっかけに「演歌」が定着した。
なお、音楽理論的には、演歌の定義はない。

出典;Wikipedia

源流とされる明治時代の演説歌はともかくとして、重要なのは最後尾のところ、
音楽理論的には、演歌の定義はない
とあるように「演歌」という音楽的、文化的なカテゴライズに明確なものは存在しない。

「演歌」をカテゴライズする表現としてはさまざまあり、言葉としての「演歌」の登場は1970年代初頭まで待つ必要があるが、それに該当するものは先んじて、概ね1960年代(昭和30年代)という高度成長期という時代の歪みやうねり、戦中派が作ってきた社会と戦後世代の若者との間の軋轢が偏在する中で誕生した歌謡の1ジャンルとも表現できる。
当時の大人たちは戦中派で、浪曲や軍歌などに親しんできた世代とすれば、すなわちそれが「体制派」の音楽と定義したとして、そのカウンターカルチャーという性格も帯びたものが「プロテストソング(社会風刺の歌謡)」、すなわち演歌であり、その演歌を涵養として消費していたのが当時の若者と言えるだろう。

そうなると演歌というジャンルの歌謡曲は当時のニューミュージックであって、つまり「若者の音楽」としてスタートした文化であることがわかる。
アメリカで言えばジャズなどのブラックミュージックが本流、その支流がロックという関係性があるが、その対比と近いように思う。

演歌の生い立ちは、このように紐解ける。

日本結婚相談所連盟

演歌の立ち位置と担ってきた役割

演歌とはどういう立ち位置にあり、どのような役割を担っているのか。

一般の人から見た演歌のイメージは「おじいちゃんおばあちゃんが好きな歌謡曲の1ジャンル」でしかないが、演歌ファンは高齢者になってから演歌が好きになったのだろうか。
大御所演歌歌手は大御所になってから演歌歌手になったのだろうか。
これは明らかに「NO」である。

大御所演歌歌手は若い頃に演歌歌手としてのキャリアをスタートし、高齢になった今でも一貫して演歌歌手を続けているにすぎない。
同様に、演歌ファンの高齢者も、個人差はあれど若い頃から演歌を聞いている人が多い。周囲の演歌好きを見てもそうだとわかる。

今でこそ大御所演歌歌手である北島三郎、五木ひろし、細川たかし、森進一でも若い頃があり、その若い頃に演歌歌手としてデビューをしたわけだし、それを作った作曲者、作詞者、例えば阿久悠も30そこそこの青年であったわけで、それらの作り手による楽曲のレコードを買って、聞いて、感銘を受ける消費者も、若年層がメインターゲットだった。

先項でも触れたように、演歌とは戦後から高度成長期にかけて、1960年代(昭和30年代)に誕生したニューミュージック、およびそれに起源を持つ歌謡曲であると言い切れる。

例として演歌歌手のデビュー時の括りで関係者の年齢を並べると以下のようになる。

【ケース1】北島三郎
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1962年(昭和37年)に「ブンガチャ節」でデビューした北島三郎は1936年(昭和11年)生まれの当時26歳、
作詞の星野哲郎は1925年(大正14年)生まれの37歳。
作曲の船村徹は1932年(昭和7年)生まれの30歳、
【ケース2】五木ひろし
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1965年(昭和40年)に「新宿駅から/信濃路の果て」でデビューした五木ひろし(当時・松山まさる)は1948年(昭和23年)生まれの当時17歳、
作詞作曲の上原げんとは1914年(大正3年)生まれの51歳。
【ケース3】細川たかし
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1975年(昭和50年)に「心のこり」でデビューした細川たかしは1950年(昭和25年)生まれの当時25歳、
作詞のなかにし礼は1938年(昭和13年)生まれの37歳、
作曲の中村泰士は1939年(昭和14年)生まれの36歳。

※全ての出典:Wikipedia

あくまで例示としてわかりやすくすることが目的であり、この手のマーケティングをするにあたり「入り口」は重要なので、現時点で存命のベテラン演歌歌手で代表的な三氏のデビュー時を以上のようにピックアップした。

年齢で見ると五木ひろしの曲を作った上原げんとは例外として、それ以外は歌う人も作る人も概ね10代〜30代と若く、当時をエネルギッシュに生きる若者たちが作って若者たちが歌って若者たちが聞く「若者の音楽」だったわけだ。
若者が望むものを若者が体現する若者の音楽、ニューミュージックにはそういう役割がどの時代にもあるし、歌謡や音楽が映画やテレビと並ぶ娯楽の王様であった高度経済成長期の昭和という時代においては、なおさらのことである。
春日八郎、村田英雄、三橋美智也、美空ひばり、島倉千代子らも概ねこの時代であり、同様の理屈が当てはまる。

30代が若者か、あるいは現代の同年代と当時の同年代を、当時の平均寿命や年代の社会的立場も含めて単純に比較できるものではないが、人間としての30代が若いというのは現在でも昔でも変わらないから、やはり当時の演歌は若者が作って若者が歌い若者がそれを聞く若者の産業だったと断言できよう。


現代の演歌が確立したとされる1970年代の日本には英米のロックは輸入されていた時代ながら和製ロックはまだ誕生直後くらい、フォークやロカビリーはすでに輸入されており、「音楽を聞く」というカルチャーの中にも選択肢としてジャンルが複数あったが、その中でも戦後以降の社会情勢にマッチした演歌のポテンシャルと存在感は時代の第一線にあったと、レコードをはじめとした演歌のセールスなど当時の市場規模から読み取ることができる。

コモディティ化する演歌

我々現役世代が演歌と言われてイメージするのは概ね以下のようなものに集約されるだろう。

大御所作詞家作曲家先生による花鳥風月や春夏秋冬、人間の感情の機微、故郷や親兄弟、男らしさ女らしさについて書かれた歌謡曲を、若い頃に大御所歌手に弟子入りして研鑽を積んだベテランの歌手が着物姿でこぶしをきかせて歌うもの

もちろん、これはあくまで演歌の扉の部分であり、深層を現すものではない。
先述のように演歌には明確な定義が存在しない。
ただ、昭和のフォーマットが演歌だとして、世界にはロックやジャズが古くからあるし、クラシックなどはその起源を中世ヨーロッパにまでさかのぼることができるが、それらは時代が移っても若い世代に受け継がれている。

それではなぜ、日本の演歌だけが、1960年代〜1970年代近辺を中心とした主に国内限定の「昭和」を代表する若者の文化として一世を風靡しながらも、現代の若者がついてきていないのか、もっと言えば、いつの世の若者にも刺さるようトランスフォームしてこなかったのか、あるいはトランスフォームしようとしたができなかったのか、ハナから昭和という社会情勢下に生きた”若者”がたどるその後の人生までをターゲットに絞る「当代限り」の売り切り型マーケティングを業界団体で恣意的にやってきた結果、つまり、当事者たちが望んできた結果が今の演歌の立ち位置なのか。
このあたりは演歌界隈に身を置く人によるので一概には言えないだろう。

ともかく、そういった背景があって演歌とは古臭いものの代表格として認知されながらも、それでもしぶとく生き残っているし、歌手や楽曲によっては若者にも刺さる場合もあるが、昭和の若者が聴き耽り歌い貪った国民的カルチャーだったものが、そのメインターゲットの若者が老齢化し、徐々に市場から退場していき、他方で次の層を取れないまま次第にコモディティ化し、危殆に瀕する風前の灯火的カルチャーに甘んじているのが挙げ句の果ての現状だ。

演歌が持つ特徴と弱点

音楽とは世の人々の心と添い遂げる性質を持ったカルチャーである。

とりわけ、若者の鬱憤とするエネルギーや屈折した不満の受け皿が、昭和であればフォークソング、平成以降はロックやヒップホップだとすれば、昭和から一貫して人間の感情の機微や男女の情念、望郷の念といった人間の泥臭い営みの部分に寄り添ってきたのが演歌であるとカテゴライズできる。当時の煤煙に咽ぶような社会に介在する若者の営みの部分に寄り添う仕様のカルチャーが演歌と言えるだろう。

そういう特徴を持つだけに、演歌には致命的な弱点がある。
それは「時代に合った仕様にトランスフォームしづらいビジネスモデル」のカルチャーであるということだ。
交通網やネットが発達した現代においても人間の感情の機微や男女の情念、望郷の念は存在するし、これからの未来も、人間という生き物がこの世に存在し続ける以上は、これらが潰えることはないだろう。

しかしながら、スマホやパソコンからワンクリックで手軽に物が買え、指でタップしただけで好きな人や家族と連絡を取り合うことができ、飛行機や新幹線を使えば数時間でどこへでも誰かに会いにゆける、そんな現代社会を演歌では表現し切れない。あるいは、そういう時代において、元号で言えば2つも前である昭和の価値観にマッチした特殊なカルチャーである演歌を聴く耳を必要とされないので消費者が形成されないし、消費がないから作り手も育たないので産業として成立しない。

若い演歌歌手や演歌ファンが僅かながらいることは知っている。
演歌の世界は歌謡界の中でも群を抜いて厳しい世界で、そこを這い上がってきた人というのは一朝一夕で音楽界や芸能界に飛び込んだぽっと出の”歌手”や”アーティスト”なんかとは比べ物にならないくらいの度量と歌唱力があることも認める。
それでも、現代の文化を明瞭に表現し切った「現代の演歌」、それを完璧に歌い上げる「現代の演歌歌手」というものを少なくとも私は知らない。

若者は演歌なんて聞かない。
それだけでなく、そもそも演歌が何かを知らない人が多い。
「おじいちゃんやおばあちゃんが作って、おじいちゃんやおばあちゃんが歌って、おじいちゃんやおばあちゃんが聞く、2つくらい前の時代の、なんだかよくわからない古臭い音楽」くらいにしか思われていないのが演歌の憂うべき現状である。

これが演歌が抱える唯一と言ってもいい、かつ致命的な弱点だ。

演歌を待つ未来

演歌にはどのような未来が待ち受けているのか。

予言者でない限り、正確な予測は誰にもできない。
ただ一つだけ言えるのは、演歌は滅びることなく、民謡や童謡、地唄のような立ち位置の局地的カルチャーとして残る、あるいは軍歌などの特殊なスラングをあらわす用語として生き続けると私は予測する。

以前、「テレビがなぜつまらないのか」という記事を書き反響をいただいたことがあるが、演歌とはまさにテレビと似た「滅びはしないが再び隆盛を取り戻すことなく低空飛行を続ける」運命をたどり、一部の人たちのために一部の人たちが作り、一部の人たちが聴く、マイナーでクローズドな内輪のカルチャーに収斂していくだろう。

ロックやクラシックが好きな私とて演歌に心を突き動かされることはある。
ただし、そういった機会はごくまれで、親や祖父母の世代がたどってきたような、若い頃はフォークやロック、ロカビリー、グループサウンズと同じように演歌も聴き、年を取ってからはしみじみとその人生を振り返りながら演歌に傾倒するという音楽史を、我々以降の世代がなぞることはないだろう。
音楽を聴くというカルチャーやそれを聴くデバイスや手法も今と昔で様変わりしており、そもそも物質主義でなく昔に比べて物を買わなくなったと言われる我々現役世代が高齢になったころにはどのようなスタイルで音楽を聴いているのかはわからないが、その頃に我々がどっぷりと演歌を聴くようになるかと言われれば、答えはたぶん「NO」だ。


最後に、若い世代に刺さりづらい、後進が育ちづらい仕様のカルチャーであるという悩みを持つのは演歌だけではないことを書いて筆を置きたい。
民謡などの伝統芸能、伝統工芸などの職人の世界全般も同様で、古くからある文化全般が、時代の変化に対応できず、時代から取り残され、若者からは旧態依然とした古臭いものとして疎んじられ、ゆえに若い担い手が不足し、これを未来に継承できるか、あるいは継承せずどこかで幕引きをするのか、という分水嶺に立っているように思えてならない。


【おことわり】
記事中の歌手、レコードジャケットの写真は著作権を侵害しないよう配慮して掲載しているが、当事者からの申し立てがあれば適宜対処する。

当ブログが少しでもあなたのお役に立てれば幸いである。

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