テレビがなぜつまらないのか
テレビがつまらない理由。
まず、昔(90年代くらいまで)のテレビと今のテレビは別物という認識が必要です。
よく言われる「コンプライアンス(の縛り)がテレビをつまらなくした」理由も一因ではありますが、それはあくまで表層上の話です。
インターネットの登場により人々の娯楽が多様化、細分化されたことにより、テレビ業界(もしくはそれに関係する職種の人たち、いわゆるテレビマンや芸能人、広告代理店関係者など)のステータスが劇的に低下していることは「テレビがつまらない」ことと関連はあるものの、それはあくまで彼ら自身がもたらした結果でしかなく、原因の根本ではありません。
当事者がテレビ(地上波、BS)をつまらなくしている直接の理由を私は以下のように紐解きました。
✏️ テレビがつまらない5つの致命的な理由。
1. テレビが芸能人の生活保障装置と化してしまっている
2. 同じようなの番組が乱発されている
3. テレビ業界が視聴者の方を向いていない
4. テレビ業界の危機を当事者が危機と感じていない
5. 業界として新陳代謝が捗らない

1. テレビが芸能人の生活保障装置と化してしまっている
視聴者を喜ばせるものというよりも芸能界を儲けさせるためのショーを見せられている感が強いと思います。芸能人の実績作りの場としてのツールになっているという表現でもいいかもしれません。
増えすぎた芸能人の受け皿としてテレビが使われていて、それでは芸能人が増えすぎてしまったのかというと、アイドルグループの乱造、お笑い芸人などのテレビタレント養成学校ができたことなどの理由で芸能界へのハードルが下がったことが主要因としてあげられるでしょう。
また、テレビ番組の企画、台本を書く放送作家を養成する学校では、企画書の書き方を習う際、まず「出演者に誰を起用するか(=キャスティング)」から入るよう教わります。
そのようなテレビ業界の土壌があり、テレビ関係者は芸能人ありきでしかテレビ番組を作れないと思い込んでいる節があり、教える側にもそういうフォーマットしか身についていないのです。
テレビとは必ず芸能人を出すものという固定概念を壊せないでいるわけです。
2. 同じようなの番組が乱発されている
とりわけ民放のゴールデンタイム、プライムタイムにその傾向が顕著に現れています。
CM前に「このあとは・・・!(出演者の驚き叫ぶ顔を並べて)(SEの声)”えーっ!!!”」→CM入り→CM明けは少し巻き戻したところから再開、という量産型テンプレの番組構成、映画や自局の番組の番宣ゲストからの「お知らせ」「告知」、大手芸能事務所タレントへのヨイショ、「コラボ」「タイアップ」と銘打った大手芸プロ提灯企画、内輪の馴れ合い、「バーター」「友情出演」など持ちつ持たれつのテレビ業界と芸能界。
スタジオに芸能人を呼んでワイプでVTRを見て何かを食べて動物を出してワーキャー!みたいな「バラエティー番組」や、芸能人コメンテーターを並べた「ワイドショー」の多いこと。
同じようなUIの同じようなテイストの番組が量産されている光景はまるで金太郎飴を見ているようです。
3. テレビが視聴者の方を向いていない
テレビ業界に身を置く人からすれば、お世話になっている(よく一緒に仕事をさせてもらう=ある程度数字を稼げる、計算できるタレントを使わせてもらう)芸能事務所」へ恩を返す必要がある(義理がある、リターンを期待する)ため、またそこのタレントを番組に起用する、という自分たちの仕事の根底にある呪縛から逃れることは絶望的なのでしょうが、テレビ業界の事情は視聴者には関係ありません。
一般企業ならともかく、公共の電波を押さえている人たちがそういう事情を見せつけてくる、視聴者を付き合わせるところに、この問題の深刻さがあります。
テレビ業界としての最優先事項は芸能事務所の顔を立てることで、真に視聴者が求めているものは二の次です。テレビ業界、引いてはツーカーの芸能界との慣習や忖度に視聴者を付き合わせる前提の番組作りが行われているわけです。

4. テレビの危機を当事者が危機と感じていない
人気芸能人を出してそれっぽいテレビ番組を作っておけば国内マーケットにおいてはある程度は利益が上がるため、テレビ業界には本当の意味での危機感を感じていない人が多いように思います。
新聞関係の人にも言えることですが、自分たちがオールドメディアなのだという認識がなく、あるいは認識があったとしても、時に変な選民意識や特権意識が邪魔をし、その風潮や慣例を変えようとしない、変革ができないでいるのです。
高齢者層やミドル層を切り捨てて若年層を取りに行こうという中長期的戦略があるために同じようなバラエティー番組が増えたことが災いし、世の中には「テレビは見ない」「テレビを付けたら同じような人たちが同じようなバラエティー番組ばかり」「そもそもテレビを持っていない」という意見が散見されます。
当事者である彼らとてその認識はありながらも、それでも開き直って「とりあえず手っ取り早く稼げる」テレビ番組作りをしている傾向すら読み取れます。
5. 業界として新陳代謝が捗らない
テレビ業界の商慣習上、芸能人という職種が人気商売のため数字を取る(テレビに出て視聴率を取る)=それができる人気者を起用するというフォーマットに準じた番組作りをせざるを得ず、またその慣習を打破できずにいるため、テレビ業界では同じような人たちが同じようなことをやり続ける傾向が強く、内輪で馴れ合いの文化が強く残り、業界として新陳代謝が捗らないというジレンマを抱えています。

テレビとは芸能界の意向を果たすツールでしかない。
今に始まったことではなく昔からテレビ業界とはそういうもので、芸能界の顔色を伺わざるを得ない業界です。
現在になるとインターネットの出現で人々の趣味趣向娯楽が多様化したことが要因でテレビの存在感が薄れ、変化させるべき古い慣習文化を変えられぬまま時代の変化に対応し切れていないことが視聴者側からは見て取れます。
テレビのステータスがあった時代はそれでも良かったのだと思います。
しかしながら、今では視聴者がその内輪の光景に憧憬を抱かないし、長らく続く不景気により業界の体力も落ち、尖った企画モノより芸能人に頼る安易なフォーマットのテンプレ番組の量産で手一杯、そしてそれが「オールドメディア」という形で取り残されている、というところではないかと思います。
逆に言えば、それらを克服し、クリエイティビティを発揮することができればテレビは劇的に面白くなり、結果として数字も付いてくるでしょう。(テレビ業界の仕様上、無理だとは思いますが)
どのような娯楽の装置も時代背景を色濃く反映していて、単にテレビとは「昔よく流行ったもの」でしかなく、映画と同じで明らかな斜陽産業です。
かといってテレビというデバイスが消滅するかといえばそうではなく、今後は社会のインフラの一部として細々と生き残っていくのだと思います。
