【実体験から語る】狂った90年代

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  • 青年期を過ごした1990年代の私は大手アパレル商社で働いていました。
    そこでの体験を中心とした、【狂った90年代】とも言うべき今では考えられない光景をまとめました。興味のある人だけご覧ください。

✓ もくじ

90年代のオフィス環境

トミタウロスのブログ

若い人には理解してもらえないかもしれませんが、90年代の企業のオフィス環境とはこんな感じでした。

女性社員の制服がある
大手でも女性社員は制服で勤務という規程のあるところが多かったです。私がいたアパレル商社もそうでした。男性は全員スーツでした。

女性社員は男性社員のサポートをするものだという概念があった
女性社員の職種は事務員が圧倒的に多く、事務作業以外にも来客対応やお茶汲み、コピーなどをやらされるといった昭和のドラマの光景が現実世界にあったのです。女性の役職者や営業部員がいると「やり手の女性」などと言われました。

社内で喫煙できる
90年代前半くらいまでは「喫煙室」「分煙」という概念がなく、サービス業以外の会社員は職場ではデスクで喫煙していました。オフィスの執務室でも会議室でも朦々とした煙草の副流煙はつきものでした。

ハラスメントという言葉がまだない
言葉や意識や概念がないだけでセクハラやパワハラ行為は社会に存在していました。

パソコンがない
業種や企業にもよりますが概ね90年代前半くらいまではオフィスのデスクにパソコンがない更地でした。

紙の資料ばかり
当時すでにワープロはありましたがパソコンやネットは一般的には普及し切っておらず、資料は紙に印刷するのが一般的でした。

90年代の労働環境

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80年代の負の遺産をどうにかリカバリーしようともがいていたのが90年代で、労働環境も同様でした。

サービス残業やサービス休日出勤が横行していた
私のいた会社では社員のサービス残業やサービス休日出勤が当たり前でした。当時の社会の中軸であるバブル世代の体質や非合理的な精神論、モーレツ会社員魂のようなものが色濃く残っていました。「ブラック企業」「ブラック労働」という概念がまだありませんでした。

休みが何ヶ月もないなんてよくあること
「俺、3ヶ月休んでねえよ」みたいな話はよくありました。寝てない自慢もよく聞きました。所帯のある人は家族サービスどころではありませんでした。

給料はめちゃめちゃ安い
業界や会社やポジションによって違うでしょうが、90年代はロスジェネ(ロストジェネレーション=失われた世代)が始まったばかりで世の中は不景気のどん底へまっしぐらの頃。学歴問わず、どこも条件はよくなかったです。私のいたアパレル商社はその最たるものでした。

女性の活躍はあったが、まだまだ男社会
女性の社会進出が少ない世の中でした。

労働以外の思い出

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オフィス環境や労働環境以外ではこんなことがありました。

セクハラゲーム
アパレル商社の社員旅行先でのこと。若手男女社員がペアとなり、上下ジャージを着た男性社員の襟元から女性社員がピンポン球を入れて両手で手探り弄りして上半身から股間を通過して裾から出すまでの時間を競うゲームがありました。それを見て会社の上層部が歓声を上げるのです。悪趣味で破廉恥なセクハラゲームでしたが、このような光景はこの会社だけでなく社会全体にありました。

終身雇用の概念がまだ残っていた
一つの会社に長く勤めるべきだ論が大人たちに占める圧倒的な思想でした。世の中は正社員か契約社員かアルバイトしかなく、派遣社員や(IT景を中心とした)フリーランスという概念もまだありませんでした。(商店主や士業などの一般的な自営業、個人事業主はもちろんたくさんいた)

テレビや音楽業界が活況だった
90年代は音楽を聴く媒体がCDかカセットテープ(ちょうど移行期でした)でしたが、ミリオンセラーのミュージシャンをたくさん出した時代でもあり、「音楽が一番売れた時代」とも言われています。音楽はCDやカセットテープで聴き、映画は映画館かテレビのロードショー、もしくはVHSビデオをレンタルして見ていました。テレビ業界にも80年代黄金期の力が残っていました。
参考までに、90年代にヒットした代表曲は以下です。
「情熱の薔薇」(THE BLUE HEARTS・1990年)
「今すぐ Kiss Me」(LINDBERG・1990年)
「恋とマシンガン」(フリッパーズギター・1990年)
「もう恋なんてしない」(槇原敬之・1992年)
「ロマンスの神様」(広瀬香美・1993年)
「innocent world」(Mr.Children・1994年)
「空も飛べるはず」(スピッツ・1994年)
「恋しさと せつなさと 心強さと」(篠原涼子・1995年)
「名もなき詩」(Mr.Children・1996年)
「TRUE LOVE」(藤井フミヤ・1996年)
「アジアの純真」(PUFFY・1996年)
「ガッツだぜ!!」(ウルフルズ・1996年)
「HOWEVER」(GLAY・1997年)
「PRIDE」(今井美樹・1997年)
「my graduation」(SPEED・1998年)
「Time goes by」(Every Little Thing・1998年)


メディアの自主規制のようなものがなかった
テレビドラマや映画などで未成年が飲酒喫煙するシーンなどはかなりありました。現在でいう自主規制ワードも普通に使われていました。

マルチ商法がめちゃめちゃ流行った
居住エリアにもよるのかもしれませんが、私の地元では90年代、マルチ商法(ネットワークビジネス、MLM、ねずみ講とも呼ばれる)が猛烈に流行し、まるで疫病のように次から次へと襲ってきました。

個人情報の概念がなかった
学校の卒業名簿に卒業生の住所氏名が掲載されていて、それを売買する名簿業者というものが存在し、個人名と卒業校と年齢を知った上で知らない企業や団体からセールスの電話がかかってくることなどは日常茶飯事でした。プロ野球選手名鑑にもプロ野球選手の住所が載っていたのは有名な話です。

露悪的な文化・雑誌が流行った
いわゆる悪趣味な雑誌や書籍、あるいはそれを模倣したようなテレビ番組も数多く放映されていました。

志望校の職員のおじさんに気を付けろ
学生が志望校を受験する際、初めて行く志望校の構内で試験会場がどこか迷うことがあると思います。そんな時でも絶対にその学校の職員のおじさんに道を訪ねるなと言われていました。理由は「事前に我が校のことを下調べせずに来たんだな、と思われて落第にさせられる」と言われていました。子どもの数が多い時代だったため「無理してうちに入らんでもええよ?」的に、完全に学校様が上でした。

とにかく不景気
極端な買い手市場で不景気のどん底。バブル期のツケをこの時代に若者として過ごした「就職氷河期世代」が支払うことになるわけです。就職も転職も容易にはいきませんでした。ひとことで言えば、この世代の人間はバブル世代を恨んでいます。

まとめ

90年代にはインターネットは存在していましたが、少なくとも私たち庶民にとってはまだ一般的ではなく、私の家庭にも導入されていませんでした。携帯電話(今でいう”ガラケー”の先祖のような通話とカタカナメッセージのやりとり機能のみのシンプルな機種)は90年代後半になってようやく持ちました。スマートフォンなんかはもちろん存在しません。
ネットやスマホがない頃ってどんな生活をしていたの?という人は以下の記事をご覧ください。
▶︎ ネット・ケータイ前史を知る語り部が昔を振り返る


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