ネット・ケータイ前史を知る語り部が昔を振り返る

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「ネットやケータイがない時代って友達と連絡取る時や待ち合わせはどうしてたの?就活やバイトのエントリーはどうしてたの?ネットやケータイが登場する前の生活様式が知りたいな

こういった要望にお答えするぞよ。

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今の若い人類はネットネイティブ世代と言われ、スマホの電話アプリのマークが何を表すのかわからないそうです。
電話アプリのマークは固定電話の受話器を表していますが、今や家族全員がスマホ(スマートフォン)やケータイ(携帯電話)を持っている反面、家に固定電話を引いていない家庭も増えていたり会社でも固定電話を一部にしか置かないケースもあるため、「電話機」「受話器」というものが何かわからない新人類が増えているようです。

そんな新人類からすれば、ネットやケータイが登場する前の時代の旧人類はどんな暮らしをしていたのか?
こういった疑問を抱くことは自明の理でしょう。
裏を返せば、それだけネットとケータイの登場が世界を一変させ、私たち人類の暮らしが格段に発展、向上したということの証左とも言えるわけです。

本記事では、ネット旧人類の語り部からネット新人類へ、ネットとケータイが人類史に登場する前後の生活様式の変化と、後世に伝えたいことをまとめました。

ネット・ケータイ前史の人類の暮らし

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アメリカではIBMなどが1950年代から商用コンピューターの製造販売をしていました。
パソコンが登場したのが1970年代。しばらくは、ソフトウェアを立ち上げる際にコマンドプロンプトみたいな画面からコマンドを打ち込んでパソコンの中のソフトウェアを呼び出して起動させる時代が続きました。

マイクロソフトがWindows95を発売した1995年。同社からはWindows3.0というものが1990年に発売されていましたが家庭にまで爆発的に普及したOSはWindows95でした。アイコンやマウス、クリックという視覚的な発明をしたビル・ゲイツは世界を一変させました。

しかしながら、我が国においては1990年代前半くらいまで、ネットやケータイは庶民のものとは言えませんでした。
1990年代後半になるとISP(インターネットサービスプロバイダ)というネット接続業者がいくつも登場して月額の利用料金も庶民に手の届くところになり、我が国でのネット利用者は爆発的に増えました。

ネットとケータイが我が国の歴史に登場する以前の旧人類の暮らしとは、いったいどんなものだったのでしょうか?
一例にすぎませんが、ネットとケータイが人類史に登場するまでの旧人類は以下のような生活様式でした。

✏️メモ

  • ✔︎【ネット旧人類の主な生活様式】
  • 待ち合わせはどうしてたの?
    • 駅や公共施設の場合は「○○駅の△△の看板の下」とか「○○(店名)の前」みたいに目印を事前に口頭や自宅の電話で示し合わせておいてから当日に待ち合わせしました。
    • 待ち合わせに遅れて相手が帰ってしまった場合は、公衆電話から相手の自宅にかけて相手が帰宅していれば連絡がつきますが、普通はそこまでやれずに終わることがほとんどです。次の日「昨日どこにいたの」「来なかったね」「約束をすっぽかした」などと責め立てられることになります。
    • 連絡ミスなど何らかの理由で待ち合わせ場所に相手がいない、あるいは迷子になった場合で、デパートなどの商業施設であれば、受付で相手の住所と名前を伝え(例「○○町からお越しの△△様」など)、店内(場内)アナウンスで呼び出してもらいました。
  • 友人や恋人に連絡する場合はどうしてたの?
    • 家の固定電話にかけるしかありません。家族が出る場合があるので事前に「○日の△時に電話するね」と示し合わせておいて時間に家の電話が鳴ったら秒で受話器を取った後、子機を自室に持ち込んで通話しました。事前の約束をしておかないと、相手のお父さんかお母さんが出てしまいます。友達ならつないでもらえますが、お父さんが出てしまって彼女につないでもらえないケースもありました。
      ネットもないからメールもないわけで、連絡方法といえば自宅の電話を使う、商業施設の電話を借りる、公衆電話を使うくらいしか手段がありませんでした。
      (※「メール」という言葉自体が現在では「e-mail」のことを指すのが一般的ですが、ネット登場以前は「メール」と言えば海外から届く紙のお手紙を指しました)
  • シューカツやバイトのエントリーはどうしてたの?
    • 学校の求人票、ハローワーク(昔は職業安定所、通称「職安」と呼ばれていた)、リクルートなどの求人誌を見て電話をして履歴書を手書きして当日履歴書を持ってエントリー先へ行き面接をするか、手書きの履歴書を事前に郵送して書類選考後に郵送か電話で面接日時を知らせる連絡がきて面接に進むフローが一般的でした。
  • 買い物はどうしてたの?
    • 普通に店に行って買い物をしますが、電子マネーがあるわけないから現金支払いでした。大人が大きな買い物をする時はクレジットカード。
    • ネット(ECサイトなど)で買い物という概念はないものの宅配をやっている飲食店はあったので、いわゆる「テンヤもん」を電話で注文することはありました。そば屋やピザ屋などが多く取り入れていました。メニューは事前に飲食店が配達エリアの住宅のポストに投函したり店で配ったりしているので、それを見て客が電話注文をしてくるのです。
    • カタログ通販や新聞の広告を見て電話注文をするというシステムは当時から存在していました。
  • 音楽はどうやって聞いていたの?
    • カセットテープやCDを専門店で買い、専用プレイヤーで聴きました。イヤフォンはありましたが有線でしたし音質も良くなかったです。学生時代、授業中に先生にバレないように聴いたりもしました。90年代はポータブルのプレイヤー(ソニーのウォークマンなど)が流通していましたが、80年代はラジカセというラジオ付きのカセットテープ専用プレイヤーで聴いていました。
      CDやカセットテープが売られている店はスーパーやデパートの中にありました。
  • Youtubeやツイキャスがなくて辛くなかった?
    • ネットや動画という概念すらなかったのでそれが当たり前と思って不便には感じていなかったのと、またテレビがかろうじて黄金期だったため、みんなテレビを見ていました。子どもの学校の話題といえばテレビの話題でした。今では信じられないですね。

たかだか30〜40年くらい前の話です。
改めて、ここ数十年の人類における科学技術の発展のスピードに目覚ましいものがあることを痛感させられますね。

ネット・ケータイ登場後の人類の暮らし

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90年代後半、インターネットが人類の中で徐々に庶民のものになっていきます。
ただし、今のように常時接続のブローバンドではなく、いわゆるナローバンド(狭帯域通信=情報量の少ない通信)が主流でした。料金も今に比べ割高(従量課金=使った分だけ払う方式)で、「ダイヤルアップ」という方式で都度、インターネットにつないでいました。

「ダイヤルアップ」とは、当時のパソコンに標準搭載されていた「モデム」というものを使い、プロバイダー(ISP=インターネットサービスプロバイダー)が都道府県の地域ごとに用意した「アクセスポイント」という接続ポイントに電話をかけ、インターネットに接続する方式を言います。

インフラとしての通信ネットワークも今に比べて脆弱で、地方にはネットが使えない場所もありました。
ネットを使う際は今のように常時接続(光ケーブルでつなぎっぱなし)ではないため、モデムを毎回起動してインターネットに接続する必要がありました。パソコンを使って実際に電話をかけるので接続時に「ピッポッパ…」というダイヤル音がしました。

✏️メモ

  • ✔︎【ネット旧人類まめ知識】
     インターネット普及当初にはこんなエピソードがあったよ。
  • アダルトサイト閲覧バレ炎上事件
    • アダルトサイトにアクセスしてきたユーザーが接続しているアクセスポイントの番号を、アダルトサイトの業者が自社の「ダイヤルQ2」(※)のシステムを悪用して勝手に”0990”から始まる「ダイヤルQ2」の番号に書き換え、数万円から数十万円という「情報料」名目の通話料金を請求するという手口があり、被害者を多く出しました。
  • どうしてバレたの?
    • プロバイダーから突然高額な請求がきて慌てた奥さんや親がプロバイダーに問い合わせ、ダイヤルアップの接続アイコンを確認したところ、デフォルトの機械のようなマークから不審な赤いハートマークのアイコン(”erox(エロックス)”という名前が多かった)に置き換えられていて、本人が設定した覚えのない”0990”番号が入っていた。夫もしくは息子を問い詰めたところアダルトサイトを閲覧したことを懺悔した。という発覚の構図が当時のトレンドでした。

※ダイヤルQ2(ダイヤル・キュー・ツー)とは、電話で有料情報を聞き出すことができるサービス。女性の声などを流すアダルトコンテンツが多かった。番号が”0990”から始まるためそう呼ばれていた。

インターネットの普及と同時期にケータイも普及し、ネットとケータイが徐々に人類の生活に欠かせないものになっていきます。
ちなみに「ケータイ」というものは今でいう「ガラケー」の先祖のような端末で、今のスマホに備わっている機能はほとんどなく、通話とメール機能のみのシンプルな機種でした。
1990年代後半になると、この「ケータイ」を老若男女が持つようになっていきました。
当時のケータイには「着メロ」(着信音でメロディーや声が流れる)というものがあり、オリジナルの着メロを配信して儲けたお笑い芸人やテレビタレントがかなりいました。

2000年代にはITバブルが起こり、当時六本木ヒルズに本社を構えたライブドアが急拡大し、社長でヒルズ族のホリエモンこと堀江貴文が時代の寵児となるなど、我が国におけるネット新人類誕生への布石が構築されていく時代でもありました。

それからさらに時代は発展し、高品質で軽いノートパソコン、スマートフォン、スマートスピーカー、ウェアラブル端末、仮想通貨、ブロックチェーン、VR、AR、AIなどのテクノロジーや商品が登場し、標準通信規格は4Gから5Gへと移り変わろうとしています。

あなたも未来の語り部だ

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ネット旧人類、インターネット老人などと笑いながらこの記事をお読みになっているネット新人類のあなたもいずれ年を取ります。
未来、晴れて旧人類の仲間入りを果たしたあなたが新人類に「ネットネイティブ初期のことを教えて。当時はまだ5Gで、スマホとかパソコンとか使ってたんでしょ?」などと聞かれる時代になっているかもしれません。

私がこうしてネット旧人類の語り部として新人類と向き合っているように、未来のあなたもその時代にマッチしたインターネット旧人類の語り部となり、あなたの時代の新人類と向き合い、ネット人類史を後世に伝承していってほしいものです。

まとめ

ネット・ケータイ登場前史を知る旧人類の語り部による記事を読んで頂きありがとうございました。
人類史を習得してこそ未来が開ける。私はそう信じています。
ネット温故知新。
あなたが未来の語り部になることを願いつつ、本記事の筆を置きます。